稚内に向かう道で、一台の原付バイクを追い越しましたが、その異様なバイクに「なんじゃあれは?」
原付バイクのハンドルに取り付けてある風除けスクリーン。そこに競馬新聞を全面に貼り付けて、競馬の予想しながらバイクを走らせていた爺さん。
僕は近寄って挨拶し聞きました。「前見えるんですか?」
「うんにゃ全然見えねえ」
意気投合し、その爺さんと一緒に稚内港へ。「あのフェリーに乗るぞ」と号令をかけられ、向かった先は礼文島。
僕は爺さんと分かれて桃岩ユースへ、するとユースに電話があり爺さんからでした。
「ウニの良いのが上がったから、食わしてやるから出てこい!」
そしてウニやイクラ、ホッケなどなど大いにご馳走になった僕。
会ったときから、なんとなく感じてはいたのですが、この爺さん、、、身なりは小汚いのですが、どこか大物の雰囲気があります。奢ってもらった食事代だってそれなりの金額。
お腹いっぱいになって「う〜〜」って唸ってたら、その爺さんの一言が、僕の人生を変えました。
「男はよ、少年の心に大人の財布を持て」「周りを見て見な。逆の奴ばっかりだろう」(少年の財布に大人の心)
その言葉は、今でも僕の座右の銘になっています。
サラ金の金庫室に監禁された
サッリーマン時代、仕事の成績は良かったみたいですが、サービル残業とクレーム処理には悩まされました。
今でもハッキリと覚えています。
とあるサラ金の事務所へクレーム対応。
上司の命令で行かされた。
「こんな時は上司のお前から率先して行けよ」
なんて言えるわけもなく、仕方なく誤りにいく。
ボロカスに言われて「お前そこで反省して立ってろ」奥の部屋を指さされます。金庫室でした。
立たされました。
屈辱でした。長い時間に感じました。
こんな会社辞めてやる!
うつ病になってしまった
会社員時代はとにかく忙しかった、サービス残業は当たり前でした。
たしか180日間くらい、連続出勤した事もあった。完全徹夜が週2はさすがにきつい。
上司を見ると自分の未来も見えてきます。そしてその通りになりました。
40歳の頃の僕は、首の不調と背中の痛みに悩まされ、首の手術宣告を受け、頭皮にまで広がったアトピーは気が狂うにほどでした。
整形外科はもちろん、整体、鍼灸などなど、診察券を束にして立つほど、あちこちに通いました。しかし何も変わらない。そして・・・
うつ病
僕は「うつ病」と、自覚した瞬間を覚えています。
都内の大きな書店に入りました。しかし読みたい本、雑誌が分からないのです。本棚から本棚へ移動し、結局は一冊の本も雑誌も、手に取る事なく書店を出てしまいました。
その直後、背中を悪寒が襲いました。立っていられなくなりました。
小さく叫びました「たすけて」
ある日、
小さな整体院にダメ元で行ってみました。女性整体師さんが一人でやっている整体院です。
その整体院は、今までの病院や整骨院、整体院などとは全く違っていました。
女性整体師さんは僕の話を、丁寧に丁寧に聞き続けてくれたのです。
身体の調子が悪い、心も壊れた。人を批判し汚い言葉を吐き続ける僕の話を、女性整体師さんは丁寧に聞いてくれて、そして全て肯定してくれました。共感してくれました。
僕は涙が止まらなくなりました。声を出して泣きました。
そして、女性整体師さんからの次の一言で、全てが変わりました。
「もう大丈夫よ、私にまかせて」
「姿勢から整えていきましょ」
そして僕は「健康美」を手にいれることができました。
首の手術、もちろんしていません。いつの間にか治りました。
アトピーはいつの間にか消えました。
65歳の今も、肩こりも腰痛も何も無いです。
腹も出ていません。V字形の体型を保っています。美脚です。
僕は確信しています
人が壊れていく順番は、表情>姿勢>心>内蔵。
治っていく順番も同じ、表情>姿勢>心>内蔵。
僕を救ってくれた女性整体師さんは、僕の話を丁寧に聞いてくれました。共感してくれました。うなづいてくれました。
嬉しかったです。
やっと出会えたと思いました。
僕の顔に表情が戻りました。もちろん良い表情。
良い表情で呼吸が広がり、乾燥肌が潤ってきました。
嬉しい気持ちになると背筋が伸びることを知りました。
軽快な足音に変わりました。自信がついてきました。
僕はできる!
女性整体師さんのような仕事をしてみたい
僕はお金持ちでも、有名人でも無いです。しかし自信を持って言える事があります。
運が良いのです。強運です。
会社を辞めて整体の学校に通い始めました。
その学校で、後の師匠となる二人のすごい方と知り合いになりました。
整体の先生とストレッチの先生です。
整体の先生のご自宅に
僕のおばあちゃん
僕のおばあちゃんを紹介します。95歳です。残念な事に昨年、天寿を全うしましたが、乗合バスを待っているときの1シーンはモデルのようです。
猫背は命に関わると思った。
僕は54歳の時に世界一過酷と言われる、サハラ砂漠250キロマラソンに挑戦しました。マラソン未経験での挑戦です。友達が勝手に申し込んだ(泣)
サハラ砂漠250キロマラソン。
気温は日中45度ギラギラです。夜は5度までキンキンに下がります。
水以外の物資は補給受けられず7日分の食料など、全ての物資を自分で背負って走り続けます。
装備を充実させるとドスンと重くなるし、軽くすると生き延びれない。
5日目に意識を失って倒れました。
そのまま干からびて終わり。にはならず、意識が戻り、ぼんやりしているとラクダが歩いていました。
ラクダなどの大型動物は、頭が揺れない歩き方をします。足腰の負担を減らすためです。
気が付きました。僕は猫背でサハラ砂漠を250キロ歩こうとしていた。
姿勢には普段から気をつけているつもりです。しかしサハラの大自然と、世界中から集まったトップアスリートに囲まれ萎縮し、猫背になっていました。バタンと膝から崩れ落ち、意識を失って倒れた。
ギラギラの強烈な日差しが、頬を焼いていたと思います。
猫背はヤバイと思いました。命に関わると思いました。しかし、自力で姿勢を整える力は残っていません。
そこで帽子と背中のリュックを紐でつなぎ、リュックの重さで頭を持ち上げ、背筋を伸ばしました。「なんちゃって正しい姿勢」です。
そして歩き始めました。
すると奇跡が起こりました。だんだんと体が動くようになってきたのです。これにはびっくり。
行けるかもしれない。表情が変わりました。背筋が伸びました。歩幅が広がりました。砂地を蹴る足音が「ざっざっざっ」と規則正しくなりました。
そして僕はサハラ砂漠をマラソン未経験で250キロ完走しました。
正しい姿勢って凄いと思いました。